「週刊かふう」は琉球新報社の住宅情報誌です。
2020年4月から月一回、第4金曜日の号に「風水看がみる景色」としてエッセイを連載しています。新たな琉球風水レッスンの中で、これまでの掲載内容を順次紹介していきますので、おもしろ楽しく読んでみて下さい。
◆第50回 琉球庭園にみる築山の思想◆
琉球庭園は、日本庭園を基本として中国庭園の要素を取り入れているとされている。
ただし、太平洋戦争でその多くが失われたため、現在観賞できる琉球庭園は識名園や石垣島の宮良殿内庭園
※1と仲本氏庭園
※2などわずかである。また、宮良殿内近くにある石垣氏庭園(非公開)も1800年代に作られたとされている。これらの庭園のうち、大名庭園に類似した回遊式庭園の識名園以外は日本の枯山水庭園を基本に造られている。
琉球王朝時代の枯山水様式を残す宮良殿内庭園は、その設計に首里の庭師・城間親雲上が関わったといわれており、首里の上級士族の庭園をほうふつさせる。
宮良殿内は、屋敷周囲が琉球石灰岩の石垣で囲まれ、表門(瓦葺の四脚門)の正面には築地塀のヒンプンと中門があり風水が考慮されている。北東を背に南西を向く主屋の一番座がある東側に庭園が配置されているのも風水の影響と考えられる。
この庭園では、土を盛った狭い急斜面の地形に庭石が階段状に配置され、珊瑚石灰岩由来の太湖石風の石組からは中国庭園の影響が感じられる。
また、五つの築山が北から南に向かって次第に低くなるように築かれているが、風水の龍脈や五行思想が反映しているように思われる。第一の築山には石段が設けられ、灯篭も見える。第二と第三の築山との間には立岩から枯滝を落とし、中ほどに石の反り橋が架けられている。第三と第四の築山とは二つの橋脚を持つアーチ型石橋で結ばれている。第四の築山と第五の築山は岩島風に造られており、築山の前面は平坦な砂地で海を表わしている。右手には砂岩で造られた手水(ちょうず)鉢と南天の木があり露地(茶庭)の影響が感じられる。
築山が下る庭園南側に二つの橋脚を持つ石橋が架けられ、庭の入り口付近の座敷側には手水鉢が据えられている
庭園北西側にある一群の石は、海上に姿を現した島のようにも見え、立石は日光を反射すると白く輝き、その存在感と共に神々しさを感じさせる。
庭園北東側には高く盛られた築山と石段、灯篭があり、軒下付近の北西側には海原に突き出た島のような一群の石がある
庭園には椿をはじめとして種々の植物が植えられているが、ソテツやオオタニワタリなどの植栽と琉球石灰岩の岩肌とが南国の美しい景観を形成しており、琉球独特の趣を見せている。
ところで、首里城にも王や王妃の生活の場であった二階殿や御内原に庭園が造られていた。また、鎖之間と書院の間には斜面地形と露岩を利用した枯山水風の庭園が造られ、賓客の目を楽しませていた。
国営沖縄記念公園(首里城公園:書院・鎖之間庭園)
これらの庭園は平成の復元時に再現されたが、首里城火災後は公開されていない。
令和の復元によって首里城が新たな姿でお披露目されたら、正殿などの建物だけでなく庭園も是非鑑賞してもらいたい。
※1 国指定名勝。1819年に宮良間切頭職・松茂氏八世当演が首里の庭師・城間親雲上の設計指導によって作庭したといわれている。
※2 国登録記念物。19世紀前半の琉球王府治世下の八重山において、頭職を輩出した仲本家の屋敷内に築造された庭園。主庭の一部が道路沿いに整備され、その築山や石橋を見ることができる。